広島国語屋本舗 現古館、館長の小林です。
旧サイトがお亡くなりになられたので、こちらのサイトに移行しております。
過去の記事をサルベージすることも考えましたが、今年の3月で開塾3年目に突入するのです。
館長の指導にも当然変化がありますので、また細々と記事を重ねてお伝えしていこうと思います。
ちなみに、最近はやりの「アップデート」という言葉は嫌いです。
その言葉が用いられる文脈には、以前のバージョンの否定がつきものだからです。
そして、その「アップデート」されたものが自明の最適解とされる風潮にも乗れません。
作問勉強会の場で、教材作成の場で、全国の先生方との交流を通して、私自身も未だ学び続けています。
当然、変化はあるのです。
けれども、これまでも、これからも、そのときの私が提供できる最高の価値を提供し続けることに変わりはありません。
愚公が山を移すように、広島国語屋本舗 現古館は愚直に変化し続けます。
「当たり前」
お酒を大変よく飲みます。
飲んで、飲んで、飲まれて、飲みます。
友人のお店で飲むことが多いのですが、お店の性質上、初対面の人と話をする機会がよくあるのです。
簡単な自己紹介をする際には、「国語を教えています」と伝えることになるのですが、決まって言われることがあります。
「作者の気持ちが分からなくて国語は苦手だった」
これが多くの人にとっての「国語」の「当たり前」なのですね。
お子さんの国語の学習に課題を感じ、様々な情報にアクセスをされたうえで当サイトにたどり着かれた方であれば、「国語の問題で作者の気持ちを問われることはない」という前提は共有できていると思います。
けれども、子どもたちは勿論、ほとんどの大人でさえその前提は共有していないのが現実です。
国語を指導するにあたって最優先でなすべきことは、子どもたちの国語学習がどのような「当たり前」のもと進んできたかを把握することだと言えます。
コペルニクス的転回
天動説が地動説へとひっくり返るように、物事の見方が180度変わることを「コペルニクス的転回」と言います。
広島国語屋本舗 現古館で国語を学習するにあたって、いく度も経験することになります。
国語は人の気持ちがわからないとできない科目だ → No
文章は最初から最後まで一直線に読み進めるものだ → No
文章を読むスピードが遅いのは問題だ → 条件付きでNo
国語が苦手なのは読書の習慣がないからだ → 条件付きでNo
まずは、お子さんの国語学習の現在地を確認しましょう。